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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)7570号 判決 1968年6月20日

原告

大杉英夫

ほか二名

被告

株式会社西尾商店

ほか一名

主文

被告らは各自、原告大杉英夫に対し金一、〇四〇、〇〇〇円、原告陸田恭子、同大杉豊に対し各金六四〇、〇〇〇円、およびこれらに対する昭和四〇年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり、仮りに執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自、原告大杉英夫に対し金一、九六〇、四一七円、原告陸田恭子、同大杉豊に対し各金一、四三二、七七八円、およびこれらに対する昭和四〇年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、請求原因および抗弁に対する答弁としてつぎのとおり述べた。

「一、昭和三八年一一月二五日午後五時一〇分頃、東京都台東区車坂町七五番地先交差点(以下本件交差点という。)において、被告西尾忠治はダツトサン普通貨物自動車(四ら六〇六九号、以下被告車という。)を運転して上車坂方面から御徒町方面へ向け進行中、交差点右方道路から左方へ向つて歩行横断中の訴外大杉一枝(以下たんに一枝という。)に自動車前部を接触して、路上に転倒させ、よつて硬膜外血腫、脳挫傷を負わせ、同日午後九時五五分頃死亡させるに至つた。

二、本件交差点は交通整理が行われておらず、かつ被告車が進行して来た道路(以下甲道路という。)から進入するについては一時停止をなすべき旨の標識も設置されており、しかも当時は降雨中であつたのであるから、被告忠治としてはとくに進路および交差道路(以下乙道路という。)の交通の安全を十分確認してから交差点に進入すべき注意義務があつたのにこれを怠り一時停止をすることもなく漫然交差点に進入した過失により、本件事故を惹起させたものである。

また被告会社は被告車を自己のために運行の用に供する者であつた。

よつて被告らは各自本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべきである。

三、本件事故によつて生じた損害は、つぎのとおりである。

(一)  一枝は草月会常任総務の地位にあり、草月流の生花教授による収入は一か月金四五、九〇〇円を下らず、これから一枝の生計費(恒常的生計費、研究費、交際費、衣料費、交通費を含む。)一か月金二五、〇〇〇円を差引くときは、一か月の純益は金二〇、九〇〇円であつた。一枝は明治四二年一月生れで事故当時満五四才であつたから、もし事故にあわなければ同年令の女子の平均余命二三・二三年程度の余命があり、その間右と同程度の収入があつたはずと考えられるところ、本件事故によりこれを失つた。その総額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して求めたその現価金二、六九八、一八六円から本件事故に基づき支払われた自賠責保険による金五〇〇、〇〇〇円を差引くと残額は金二、一九八、一八六円となる。原告英夫は一枝の夫、その他の原告らは一枝の子であつて、一枝死亡の結果相続によりそれぞれ三分の一の相続分をもつて一枝の有した権利を承継したから、原告らは各金七三二、七二八円の損害賠償請求権を有する。

(二)  一枝は本件事故による死亡により多大の精神的苦痛を受けたが、前述のような高い社会的地位と名誉を有したものであるから、その慰藉料としては金一、二〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのが相当であるところ、右慰藉料請求権についても、原告らが前同様これを相続したので、原告らは各金四〇〇、〇〇〇円の請求権を有する。

(三)  原告らは一枝の最近親者として、一枝の死亡により多大の精神的苦痛を受けた。その固有の慰藉料として、原告英夫は金五〇〇、〇〇〇円、その余の原告らは各金三〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのを相当とする。

(四)  原告英夫は一枝が負傷して入院し、その後死亡したことによる治療費、葬儀費用等合計金三二八、六八九円を支出した。

四、よつて被告ら各自に対して、原告英夫は前項(一)ないし(四)の合計金一、九六〇、四一七円、その余の原告らはそれぞれ前項(一)ないし(三)の合計金一、四三二、七七八円およびこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和四〇年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五、被告らの抗弁事実はすべて否認する。」

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および抗弁としてつぎのとおり述べた。

「一、請求原因第一項の事実中、被告車が一枝と接触したことその他被告車の運行と一枝の負傷、死亡との間に因果関係の存するとのことおよび負傷の部位程度を否認し、その余は認める。(なお事故発生時刻は午後五時一五分頃である。)すなわち当時一枝は乙道路を通行し、いそぎ足で交差点中央を通過しようとし左右を十分確認することなく、しかも雨が吹き降りのため、傘を被告車の方向に向けてさし前かがみになつていたため被告車の接近に気付かず、その直前で被告車が停止したのに驚いて後方へとび下がろうとしたとき濡れた路面に足をすべらせて転倒し、コンクリートの路面もしくは鉄製のマンホールの蓋に頭部を強打しその結果負傷し死亡するに至つたのである。

二、同第二項中、本件交差点は交通整理が行われておらず、かつ甲道路から進入するについては一時停止をなすべき旨の標識が設置されていたことおよび被告会社が被告車の運行供用者であつたことは認めるが、その余は否認する。被告忠治は被告車を本件交差点に進入させるに先だち一時停止をなし、被告車の前方乙道路を左右に通行する相当数の歩行者の通過を待ち、人の流れのとぎれを見て、前方および左右の安全を確認してから時速五キロ程度の速度で交差点に進入すべく発進した。その直後被告車の右前方約八、九米先乙道路を右から左へ(被告車から見て)足早に歩行してくる一枝を発見し直ちに急制動の措置をとり、スリツプすることもなく、被告車を交差点中央をやや越えた付近で停止させた。したがつてもともと被告車はまつたく一枝に接触しておらず、仮りに右の被告忠治の被告車の運転方法が一枝の転倒、負傷、もしくは死亡となんらかの因果関係があると認められるとしても、被告忠治には全く過失が存しない。

三、同第三項中、原告らと一枝との身分関係は不知、その余は否認し、特に一枝の逸失利益の額を争う。原告英夫は一枝につき年収金五〇、〇〇〇円以下であるとして、同原告の所得税算定に際し配偶者控除を受けているのであつて、それにもかかわらず、本訴において一枝の年収が金五〇〇、〇〇〇円以上であると主張するのは禁反言の原則もしくは信義則に反し、権利濫用である。

四、被告会社の抗弁として、仮りに被告車の運行と一枝の被害との間に因果関係が認められたとしても、前述のとおり被告忠治には被告車の運行につき過失がなく、却つて一枝に過失があり、また被告会社にも過失は存せず、被告車には構造上の欠陥や機能の障害も存しなかつた。したがつて被告会社は免責されるべきである。

五、仮りに被告忠治になんらかの過失が認められるとしても、一枝にも前記過失が存したのであるから、これを被告らが原告らに賠償すべき損害を算定するにつき斟酌すべきである。」

証拠として、原告ら訴訟代理人は、甲第一号証の一、二、第二号証の一ないし五九、第三号証の一、二、第四ないし第一〇号証、第一一号証の一ないし三三、第一二、一三号証の各一、二、第一四ないし第二一号証を提出し、原告大杉英夫、同陸田恭子各尋問の結果を援用し、被告ら訴訟代理人は、被告西尾忠治尋問の結果を援用し、甲第一一号証の一、二、同号証の六ないし三三、甲第一四ないし第一六号証の各成立を認め、その余の甲号各証の成立を不知と答えた。

理由

一、昭和三八年一一月二五日午後五時すぎ頃、本件交差点において被告忠治が被告車を運転して上車坂方面から御徒町方面へ向け甲道路を進行していたとき、たまたま一枝が乙道路を通行し、本件交差点において右方から左方へ(被告車から見て)甲道路を歩行横断中であつて、一枝は被告車前方の路上に転倒して頭部を強打し、そのため同日午後九時五五分頃死亡したことは当事者間に争いがない。

二、そこで一枝の負傷および死亡が、被告車との接触その他被告忠治による被告車の運行の結果ということができるかどうかについて判断する。

〔証拠略〕によれば、本件交差点は台東区上車坂方面から同区御徒町二丁目方面に向い東北方から西南方に直線に通ずる歩車道の区別のない幅員六米のアスフアルト舗装道路(甲道路)と上野駅前都電通り方面から台東区南稲荷町方面に向い西北方から東方に(甲道路東北方からみると西北方へはほぼ直角であり、東方へは約五〇度の角度をなす。)通ずる歩車道の区別のない幅員約八米のアスフアルト舗装道路(乙道路)との交差地点であることが認められ、交通整理が行われていず、甲道路東北方から進入するについて交差点手前に一時停止をなすべき旨の標識が設置されていることは当事者間に争いがない。

さて事故当時降雨中であつたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、被告忠治は事故発生直前被告車を運転して甲道路を上車坂方面から御徒町方面に向い進行し本件交差点に進入するに先だち一時停止の標識を少し過ぎた付近で一時停止をなし、甲道路の前方および乙道路の左右を確認したところ、乙道路を通行して被告車の前方を横切る歩行者が十数名あつたのでその通過を待ち、人通りが一時途絶えたところで発進し、時速約五キロで進行したところ、乙道路を右から左へ、傘を前方被告車の方向へさしかけながらいそぎ足で被告車の前面を横切ろうとしている一枝を約二米前方に発見し、直ちに停車の措置をとつたが、まにあわず、被告車の左前部付近を一枝の身体に接触させ、その衝撃によつて一枝を路上に転倒させた結果前認定のとおり同人を頭部負傷によつて死亡するに至らせたことが認められる。一枝の頭部以外には外傷が存しなかつた旨記載のある前出〔証拠略〕に照し、右認定を覆すに足りない。

以上によれば被告忠治による被告車の運転と一枝の負傷、死亡との間に因果関係の存することは明らかである。

三、つぎに被告らの責任について判断する。

前認定の事実によつて考えると、被告忠治としては本件交差点において本件歩行者たる一枝の通行を妨げてはならないのであり、交差点を通過するにあたつては、予め十分左右を確認して歩行者の有無およびこれに危害を与えることのないようその安全を確かめてから進行すべき注意義務があるのに、これを怠り歩行者の通行が一たん途絶えたのを見て漫然もはや交差点を通行しようとする歩行者がいないものと軽信し、時速五キロで交差点を通過しようとした過失がありそのため一枝の発見がおくれて、停車の措置がまにあわずこれによつて本件事故発生に至らしめたというべきである。

よつて被告忠治は直接の加害者として本件事故によつて生じた一枝ないしはその遺族の蒙つた後記損害を賠償すべき義務があり、また被告会社が被告車の運行供用者であつたことは当事者間に争いがないところ、運転者たる被告忠治に過失が存すると認められること前示のとおりであるから、被告会社の免責の抗弁の理由のないことは明らかであつて、被告会社もまた同様損害賠償の義務がある。

もつとも前認定の事実関係からすると、被害者たる一枝も交差点を通過するにあたり左右の交通状況とその安全を確かめることなく歩行し、進行している被告車の直前に急に進出した過失があることが認められるから、被告らが原告らに対し賠償すべき損害額を算定するについては、右一枝の過失を斟酌すべく、過失割合はおよそ一枝三、被告忠治七と判定すべきものである。

四、以下損害額について判断する。

(一)  うべかりし利益の喪失

〔証拠略〕によれば、被害者の一枝は明治四二年一月四日生れ(事故当時五四才)の健康な女子で、昭和二三年頃から草月流の華道の教授を始め、本件事故当時は草月会の常任総務の地位にあつた。そしてプラチナ万年筆株式会社、信越ポリマー株式会社東京工場の各文化会華道部において生花の指導をなし前者で一か月金一二、〇〇〇円、後者で一か月金八、〇〇〇円の報酬をえていた外、自宅で教授をし、弟子は約三七名で月謝として各金七〇〇円をえていた。(以上合計一か月金四五、九〇〇円)これに対し、家元での研究会、師匠仲間の研究会の費用や必要な衣類新調等のための支出が一か月金二五、〇〇〇円に達していた。以上のとおり認められる。

したがつて一枝は本件事故により右収入と支出との差額一か月金二〇、九〇〇円の割合による同年令者の平均余命二二、四二年(第一〇回生命表)の範囲においてその年令に照しその約半分の一一年と認めるのを相当とする推定稼働期間を通じてのうべかりし純益を失つたものというべく、その総額からホフマン式計算方法(複式)により年五分の割合による中間利息を控除して求めた現価金二、一五〇、〇〇〇円(金一〇、〇〇〇円以下切捨て)について前示一枝の本件事故発生に対する過失を斟酌するときは、被告らが賠償すべき逸失利益による損害額は金一、五二〇、〇〇〇円と認めるのを相当とするところ、これから控除さるべきことを原告らが自認する原告らが支払を受けた自賠責保険からの金五〇〇、〇〇〇円を差引くときは、残額は金一、〇二〇、〇〇〇円となる。原告大杉英夫尋問の結果によれば、一枝死亡の結果、原告英夫は一枝の夫、その余の原告らは一枝の子として各三分の一の相続分をもつて相続したことが認められるから、原告らは各金三四〇、〇〇〇円の損害賠償請求権を承継取得したというべきである。一枝がその収入につき所得税法に基づく申告および納税をなさず、その夫たる原告英夫は一枝を収入のない被扶養家族であると申告して所定の控除を受けていたことは、原告大杉英夫尋問の結果によつて認めることができるけれども、それのみをもつて一枝の収入を失つたことによる損害賠償の主張が許されなくなるとは認め難い。

(二)  原告らは一枝本人につき、本件事故により負傷し、かつ死亡したことによる慰藉料請求権の取得およびその原告らによる相続を主張し、一枝が本件事故により致命傷を受け、多大の肉体的精神的苦痛を蒙つたことは容易に認められるところではあるが、これに対する慰藉料請求権は本来一身専属的性質を有するものであつて一枝の死亡とともに相続されることなく消滅したと認めるのを相当とするから、これを相続により取得したとのことを前提とする原告らの主張はそれ自体失当である。

(三)  原告らが一枝の夫または子として一枝の死亡により多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであつて、これに対して各固有の慰藉料請求権を有すると認めらるべきである。その額は本件にあらわれた諸般の事情および一枝の蒙つた前示肉体的精神的苦痛をも考慮するときは、一枝の前示過失を斟酌してもなお原告ら主張のとおり、原告英夫につき金五〇〇、〇〇〇円、その余の原告らにつき各金三〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(四)  〔証拠略〕によれば、原告英夫は一枝が事故によつて負傷直後永寿病院に入院し手術を受けた費用として金一一一、七六五円を支出したことおよび同原告は一枝死亡後葬儀その他の法事に関する諸費用として合計金一八二、二四五円を支出したことが認められる。右のうち入院治療費の全額および葬儀関係費用のうち金一五〇、〇〇〇円が本件事故と相当因果関係ある損害と認めることができるところ、一枝の前示過失を斟酌するときは被告らの賠償すべき金額は以上合計金額のうち金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とすると考えられる。

五、よつて被告らは各自、原告英夫に対し前項(一)の金三四〇、〇〇〇円、(三)の金五〇〇、〇〇〇円、(四)の金二〇〇、〇〇〇円、以上合計金一、〇四〇、〇〇〇円、その余の原告らに対し各(一)の金三四〇、〇〇〇円、(三)の金三〇〇、〇〇〇円、以上合計金六四〇、〇〇〇円、およびこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和四〇年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金支払の義務があり、本訴請求はその限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進)

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